あの月を飼う日まで

アニメ×邦楽ロックの感想ブログ、たまに備忘録

【アニメ】劇場版FGOキャメロット後編が素晴らしかったという話

今回は、スマホゲーム『Fate/Grand Order』(以下、FGO)第6章"神聖円卓領域キャメロット"のアニメ版(特に後編)の感想記事。いち作画好きとしてもFGOプレイヤーとしても素晴らしい出来だったので感想を書かずにはいれないなと。

※以下、本編のネタバレも含まれるのでご了承ください

 

 

はじめに

 

そもそもFateとは...から切り出すと収まらないためここは簡潔に。現実の歴史にも名を刻む英雄や神々が英霊として現代に受肉し、人間であるマスターがその英霊を使役して熾烈な戦いを繰り広げる物語。FGOでは主人公の藤丸立花が魔術王ソロモンの人理焼却を阻止すべく、歴史上のターニングポイントである特異点を巡る。FGO自体は各SNSや動画サイトから探せばプレイ動画も見つかるので、非プレイヤーの方はそちらも参考にするとイメージがつきやすいはず。

この第6章はゲームでは2016年7月25日に配信され、そのアニメ化は劇場作品として、前編が2020年12月5日に、後編が2021年5月15日に公開(どちらも新型コロナウイルスの影響で一度の公開延期有り)というスケジュール。公式のアンケートからも分かる通り、既にTV放送を終えた第7章『絶対魔獣戦線バビロニア』と並んでの人気エピソードなだけに、プレイヤーからの期待値も高かった作品である。

 

アニメ化する際の取捨選択

 

端的に言うとゲームで語られた内容がアニメに全て反映されている訳ではない。尺不足は当作品に限らず大抵の作品にも言えることだろう。しかしながら、第6章における第2の主人公と呼ぶに相応しいベディヴィエールを主軸に、円卓の騎士との確執を描き切った印象を受けた。原作ストーリーの本筋から外れた内容を削り、重要な点は取りこぼさず、魅せ場のアクションの尺を確保する作り方であった。

 

①前後編の構成

 

「尺が不足しているならその分をさらに確保すればいいではないか」というシンプルな考え方もあるが、仮に3部作にした際に挙げられる問題がピークの作り方である。仮に原作通りの展開をなぞったとして、第2部は藤丸一行がアトラス院の遺跡へ赴くことが主となってしまい、プレイヤーにはおさらい、非プレイヤーには退屈な時間と成りかねない。後編では、その描写をオジマンディアスの大複合神殿にトライヘルメスが格納されている改変により最小限の尺に収めている。今回は、この前後編の構成が最善である。

FGOに限らず、原作有りのアニメにおいて、必ずしも原作の内容をそのまま映像化する必要性は無い。却って冗長さを生むことがあることは覚えておいて欲しい。

 

②登場キャラの削減

 

第6章では実に20人以上ものキャラが登場する。それを約3時間(≒TVアニメ計9話分)で不足無く描くのはかなり無理があるのは想像が容易い。苦肉の策として、不在でもストーリー展開上で致命的な影響の無い、百貌のハサンと俵藤太、シャーロック・ホームズの3人(他にも現地の人々)が前編からいなかったことにされている。俵藤太については、玄奘三蔵の最期を弟子として見届ける役周りであったが、モードレッドの相手を三蔵が引き受けることで、不在の影響を帳消し。それも暴走したモードレッドを受け止める僧侶としても相応しい役割で、原作よりも適した散り様だったのではないだろうか。

確かにそれらのキャラのファンにとっては心苦しいものはあるだろうが、限られた尺の中で本筋の魅力を削いでは本末転倒。実際に一部から否定的な意見も挙がっていたが、それも見越してキャラ数の削減に踏み切ったのは制作スタッフの英断と言える。

 

Fate/Apocrypha』第22話との共通点

 

当作品に触れる上でこの作品の存在はスルー出来ないだろう。2017年にTV放送されたFate/Apocrypha』第22話(以下、アポ)とキャメロット後編が類似している旨の感想がチラホラと目に入った。それも恐らく作画や演出にさほど興味を持たない視聴者の感想なのが面白いところ。それだけ映像としてインパクトが強かったことが窺える。

実際、自分の目から観てどうだったかと言えば、90分丸々は誇張表現にせよ中盤の聖都での戦いに突入以降はそう呼ぶに相応しいものだったと思う。だが、単に重なるものは映像に限った話ではない。ということで、まずは以下の荒井和人監督のツイートに目を通して欲しい(できればパンフレットも)。

 

またアポ第22話については、以下の月刊MdN 2018年10月で詳細に語られているので、是非手に取って読んでみて欲しい。当作品に参加したアニメーターのインタビューも複数掲載されている。

これらを踏まえ、キャメロット後編とアポ第22話の共通点を挙げていく。

 

①参加スタッフ

 

荒井和人監督をはじめ、10人弱が共通して参加。特に砂小原巧氏、土上いつき氏、伍柏諭氏の三方は両作品において担当量が多い。この方々は20代後半が中心であり、元々学生・新人時代での繋がりなどもあるが、一堂に会して密度の濃い回が作られたのはアポ第22話が初だろう。この横の繋がりにより、お互いの技術的に得意不得意なところのみならず、性格といったパーソナル面も把握し、時には意見もぶつけ合うことが可能。この辺りの背景は各種インタビューやSNSを通して、部外者からしても察せられる。
因みに、モブサイコ100Ⅱ 第5話・11話や絶対魔獣戦線バビロニア 第18話もこのスタッフが中心の回なのでオススメ。

なお、パンフレットにクレジットが未記載である関係上、本編のEDやSNSでの発言を基に確認するしかない状況。自分なりにまとめたものがあるのでそちらを参照して欲しい(訂正や追加は該当ツイートのリプ欄を参照)。

 

②制作手法

 

前述のツイートからも開示されているように、(モードレッド戦、獅子王戦を除く)各戦闘シーンの絵コンテ・演出・原画を(ほぼ)一人で担当しつつ、重い制約を課さないことで個性を発揮した自由度の高い手法が取られている。これはアポ 第22話の作業背景とも通ずるものがある。絵コンテ・演出自体は伍柏諭氏の単独ではあるものの、かなりラフなものであり原画は個人の裁量に任されていたのである。加えてAdobe Animateというデジタルの作業環境による作業経過の共有。だからこそ適材適所、完成画面に至るまでの道筋が見えやすい

この手法によって各戦闘単位での画面の統一感が図れ、場面を跨いだ際の違和感を無くすことにも役立っている。

 

③戦闘シチュエーション

 

後編においては、(トリスタン戦を除き)1対1の戦いが複数同時並行で行われる。アポ第22話においても、ジークフリート対カルナ、ジャンヌ(途中からアキレウスに交代)対アタランテと同様の形式。また、戦うフィールドも暗がりや崩壊など類似している。キャメロット後編の聖都戦のフィールドに関しては原作から改変がされており、物語のクライマックスに相応しいものとなっている。特に崩壊は破片や煙エフェクトによる画面内の情報量が増加することで見栄えの向上、背動を含めキャラが移動する理由付けにもなる。

 

以上、ここでは計3点の共通点を挙げたが、(多少語弊はあるものの)要は同じスタッフが同じFateシリーズの作品の似たような場面を似た過程で作ったために、類似点が多く見られる訳である。

 

特に印象的だったシーン

 

ここまで前置きが長くなってしまったが、ようやく具体的にいくつかシーンをピックアップしていく。ゲームでは戦闘がある種一定の見せ方で詳細な場面説明が行われていない上、アグラヴェインはバトルキャラとしてゲームに未実装であることから、大部分は制作スタッフのアイデアが完成画面に反映されていることを念頭に置いて読み進めて欲しい。

 

①ベディヴィエールとは誰のことだ?

 

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獅子王となりベディヴィエールに関する記憶が欠如。劇伴が止み緊張感が走るシーン。決して冗談などではない言葉のニュアンスを温泉中也氏のリアル寄りのキャラデザがより際立たせる。加えて、川澄綾子氏の抑揚の少ない無機質な演技が合致した印象。

このシーンは『劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel] III. spring song』のセイバーオルタ戦の決着において、セイバーが自我を取り戻し士郎の名前を呼ぶシーンと重なってしまった。思わずハッとさせられる動から静の切り替え。

 

②マシュ対ランスロット

 

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Production I.G所属のベテラン古川良太氏が手掛けたパート。盾は飛び道具。かつてのFGO配信4周年記念PVにおいても、投げた盾を岡田以蔵の足場にするシーンがあったが、今回は完全に武器扱い。作り手のアイデアの引き出しに驚き。ゲームでは登場しなかった活用パターンなだけに、逆輸入でモーションを取り入れて欲しいところ。

それにランスロットの吹っ飛び方やマシュの「お父さん」の下りなどギャグ要素が強めで、終始シリアスな内容の当作品では清涼剤的なシーンとして緩急がつけられている。

 

③現地の人々

 

主役は言わずもがな藤丸一行だが、現地の人々も平和を取り戻すべく共に武器を手に取る一員である。FGOでは各特異点の人々との交流も欠かせない要素のため、後編においてもカットせず描いたことで物語性が強まる。また、中盤以降でアクション続きとなるため、緩急付けとしての効果も期待でき、それらは絶対魔獣戦線バビロニア 第18話とも通ずるものがある。

 

④トリスタン対呪腕のハサン&静謐のハサン

 

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当作品で初の絵コンテ・演出を担当した砂小原巧氏が主に手掛けたパート。細かく平面的な破片と角のある煙エフェクト、ハイコントラストな画面が特徴的。ほぼ立ち位置が固定なトリスタンに対して、暗がりに身を潜めつつワイヤーを伝って立体的に攻めるハサン。フィールドの暗がりによって視認性がやや悪いが、ハサンがアサシンということを踏まえればリアリティのある画面なのではないかと。ここでは普段は瞼を閉じているトリスタンに仮面で顔を隠しているハサンと表情が見えづらい者同士、ここぞというときに見せる表情のギャップが演出上で良い味を出している。

聖都での戦いはこれが開幕であり、これまでと全く異なる画面から「あっ、これ作画回で見るやつ」と期待の高まりを感じさせてくれる。

 

⑤ガウェイン対ベディヴィエール

 

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空間を意識したレイアウトが持ち味の土上いつき氏が主に手掛けたパートで、Production I.Gから作画監督には齋藤卓也氏、原画には鈴木明日香氏も参加。ここでは超人的な描写が多い中で比較的地に足の着いたアクションが繰り広げられるのだが、それはベディヴィエールが実は人間であることの裏付け。対してガウェインのどんどん広がる肩幅は厚い壁をも粉砕する。タックル自体は元々ゲームのモーションにも存在したが、壁に囲まれたフィールドだからこその体格の活かし方。

戦闘後半の殺陣シーンでは、キャラが接近したことで画面に大きな動きを作りにくい中、キャラを回り込むカメラワークによって動きが作られている。主に直線上に位置するキャラ同士のアクションで如何にバリエーションを持たせるのか、そのアクション設計に面白みを感じられる。

 

⑥アグラヴェイン対ランスロット

 

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アポ第22話の立役者である伍柏諭氏が主に手掛けたパート。開幕のテラスでの一連はまだ20歳前後のWeilin Zhang氏が原画を担当し、とにかく画力が凄まじく当作品において一番目に焼き付いた。アグラヴェインに纏わりついた旗に引火し、炎が燃え広がるまでの過程の構図と演出のアイデア。またしてもとんでもないものが始まる...良い意味での異質感を受ける。Weilin Zhang氏は過去にもゆらめき・靡きを描くシーンがあり、流動的な変化の表現が秀でたことを見込んでの采配だったのではと思われる。

また、このパートではキャラの表情が大きく変わるが、それも獅子王への忠義を尽くすアグラヴェインの執念として画面からも伝わってくる。心の中で煮えたぎっている相手に対して綺麗な顔で戦える訳がない。

そして、広角でキャラが小さく見えるほどのレイアウトに、抽象的なディテールのエフェクト類、そして縦横無尽に繰り広げられるアクション。正直、一度だけでは何が起こっているのか全容が掴めないが、凄いものを観てしまったのは間違いない、そんな感覚に陥る映像。アポ第22話を想起させるのも頷ける。

 

⑦ベディヴィエール対獅子王

 

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ここでは、絵コンテ・演出は荒井監督に伍柏諭氏がアイデアを加え、原画はタメツメを効かせた躍動感のあるアクションが特徴的な五十嵐海氏が主に担当(一部エフェクトは荒井監督が担当)。ここでもキャラクターの表情は誇張的に変わるが、そこはベディヴィエールの覚悟が感じられるので却って功を奏しているなと。飛び道具の無い人間だからこそ前に、獅子王の元に進むしかないというシチュエーションを背動も使い、力強くエモーショナルに表現できている。

作画は勿論だが、前後編を締める物語のクライマックスとして、ベディヴィエールがエクスカリバーを返還するまでの一連に映像から音楽に声優の演技、全てが合わさったことで感極まるモノがあった。

 

余談

 

前後編に渡った第6章。前編も観た方なら分かると思うが、映像面でのアプローチ、特にアクションの表現に大きな違いがある。前編ではリアル寄りの地に足の着いた剣劇、対して後編では空間を広く捉えた超人的な英霊のアクション。これはパンフレットでの荒井監督のインタビューにもある通り、意識的に行われたものである。また、キャラの表情についても後編において担当アニメーターの個性がより前面に出たもので、移動幅が大きい際には時折崩れたようにも映るだろう。

そもそもFateシリーズはキャラクターの人気が高いコンテンツであり、過去にufotableが制作したstay night、及びZeroでは美麗作画と評されていた。そんな中で視聴者にはキャラの顔を崩すことに敏感になる層がいるのも確かで、実際にアポ第22話でも批判的な意見は少なからず存在した。それでも、後編で臆することなくアニメーションとしての面白みを追求した制作スタッフには頭が上がらない。

表現方法が違えど、キャラや物語をより魅力的に見せるべく試行錯誤しての結果であり、表面的に捉えて頭ごなしに否定するのは視野が狭いと思わざるを得ない。いち作画好きとして、「こういう見せ方もあるのか」、「どうしてこう描いたのか」といったようにより広い視野でアニメを観ることを願う。きっとアニメの楽しみ方が増えるはず。

 

最後に

 

この記事を読んでいただいた方でもし観るかどうか悩んでいたら、是非とも観て欲しい(このご時世なのでそれ相応の対策と決断は必要だが)。個人的に当作品は完成画面のみならず制作過程にも惹かれるものがあり、自分の心に強く刻まれた作品の一つだったなと。加えてその主要スタッフが比較的自分と年齢が近い面もあって、勝手ながら応援したくなる心情。次回作も楽しみにしたい。

実のところ、当初はFGOがアニメ向いていないコンテンツだぞという記事を書きかけていたものの、当作品が素晴らしかったので(一旦)撤回。もしかしたら2021年7月に公開を予定している『終局特異点 冠位時間神殿ソロモン』を観終えたら、また関連記事を書くかも?

今回はこんなところで。それではまた。

 

※記事の初出し時に一部誤記がありました。マシュ対ランスロット戦の担当者について、正しくは古川良太氏です。申し訳ありません。

 

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