あの月を飼う日まで

アニメ×邦楽ロックの感想ブログ、たまに備忘録

【アニメレビュー】映画大好きポンポさん -制作の内と外-

今回は2021/6/4に公開されたアニメ映画『映画大好きポンポさん』の感想記事。いちアニメーションでありつつも、無難と思わせない映像作品としての拘りを強く感じられた本作。

因みに今回映像化された分の原作話数(Chapter.6まで)は以下のサイトで無料公開されているので併せてどうぞ。

 

comic.pixiv.net

 

例によって、今回も気になった要素をいくつかピックアップしていく。

※以下、本編のネタバレが含まれるのでご了承ください

 

 

映像"だからこそ"の表現

 

既に本作を観た方なら分かると思うが、特に前半においてこれでもかと言わんばかりに目立つのが多岐に渡るカットの切り替え方。車のワイパーやめくれる紙を使ったワイプ*1、ディゾル*2、ジャンプカット*3、巻き戻しなど挙げればキリがないだろう。通常のアニメ作品でここまで多用すれば却ってガチャガチャとした印象を与えかねないが、本作は映画制作という背景がある。また、原作の漫画という媒体に取り入れるのは難しい表現でもある。カットの切り替えはジーンが務める編集工程によるもの"だからこそ"取り入れる意味合いが強い。この前半は賛否のある見せ方だったようだが、個人的には視覚的に楽しんで観られた。巻き戻しもナタリーの髪を切る描写があるおかげで時系列は混乱せずに済んだ。

また、ジーンの編集作業について、そのままではPCと睨めっこ状態の作業風景で映しては地味なところを空想アクションによって映える見せ方にしている。それ以外も回り込みのカメラワークや体に纏まるエフェクトによって、画面内に動きを作っている。ボリュームを上げた劇中歌も相まって盛り上がりが感じられる作り。

他にも映像制作あるあるといったメタ的視点の話もあり、現実の観客側にも手が伸びてくる。だが、専門用語はあまり登場せず映像形式で説明されるため、頭にスッと入ってくる印象を受けた。特に編集作業での理由付けされた素材の取捨選択は、各素材を組み込んだ例を順に映すことで比較しやすい。

本作におけるキーワードの一つである上映時間"90分"、もれなく本作自体もぴったり"90分"。その中で尺をコントロールするために前述のカット切り替えが活きてくる。

映画制作を題材とした作品なのだから、その作品の制作側も"だからこそ"の見せ方をしたい姿勢が伝わってくる。

 

 

誰のために作品を作るのか

 

作り上げたものを世に出す以上は受け手のことは意識せざるを得ないし、そもそも何か動機があるからこそ作り出そうとするもの。一番の受け手は監督自身か親しい人物か、それとも不特定多数の観客か。本作では監督自身になるのだが、劇中で制作された『MEISTER』の時間も90分*4という偶然。ややご都合感は否めないものの、ジーンが報われるきっかけを与えてくれた人物であるポンポさんへの感謝も表すような物語性がある。元々、『MEISTER』自体もナタリーに対する当て書きであり、誰かのために物語が描かれる一貫性が感じられる。その誰かに対する想いも、ジーンが『MEISTER』内の人物と姿が重なる描写やジーンが同席する劇場で一足早く退席するポンポさんの描写など劇中の随所にあるので納得できる。

 

 

切り捨てた果てにあるモノ

 

本作におけるキーワードのもう一つである"切り捨てる"。編集作業において何人ものスタッフが時間や労力を費やして撮った素材を採用しないことや、学生時代に友人も作らずその大半を映画鑑賞・研究に費やした過去に準えられている。個人的にこの切り口は他の映像制作系の作品でも無かった観点のように思え、新鮮味があった。

大それたことでなくとも、普段の何気ない行動の一つひとつ、当記事すら時間を切り捨てたことによって生まれたモノである。何かを成し遂げるにはそれ相応の代価を必要とする。某錬金術師よろしく等価交換の法則。逆説的に何も切り捨てなかったことで生まれた成果に価値は見出せない。仮にジーンが満喫した学生時代を過ごしていたとして、その輝いた目ではポンポさんの会社面接で落とされ物語すら始まらない。何かを切り捨て欠けた部分があるからこそ、それを満たそうとする物語に魅力が生まれる。この"切り捨てる"ことを編集作業における空想アクションや、原作には無い終盤の追加撮影シーンの存在が際立たせる。テーマと映像、構成が合致。

 

 

アランの役割

 

本作のアニメオリジナル描写の大部分は、オリジナルキャラのアランが引き受けた。なお、以下のツイートにもある通り原作者が唯一本作に関わったのがアランの原案デザインである。

 

 

元々、原作の尺では90分を確保するのが難しかった事情はあるが、追加要素は既存キャラの掘り下げや別の撮影シーンという手もあったはず。 にもかかわらず追加されたのはアランというキャラと関連エピソード。であればこのキャラにしかできない役割があると見るべきだろう。

彼は銀行マンとして映画の資金調達には携わるが、制作作業自体とは無関係の制作の外側に位置する人物。本作では終始、制作側の人物を軸に展開する物語のため、より多角的に物語を描く上では必要に思う。また、学生時代の同期だったジーンとは対照的なスクールカースト上位のアランだったが、社会人になってからは仕事が上手くいかず時折サプリメント?を口にする目に輝きは見えない。一見、成功者である彼もポンポさんが論じるクリエイターの素質のある人間(満たされていない人間)であり、そのクリエイティブの発現こそあのクレイジーな会議の描写なのだろう。突拍子の無さはあるが、観客へ印象付けるにはもってこい。

そして、数少ない同世代でかつてのジーンと関わりがあり、今では同じ目だったからこそ目の輝きの変化にも気付ける。立ち止まったジーンの背中を押す役割がある。アランは本作において欠かせない人物の一人なのである。

 

 

印象的だった作画

 

 

全編に渡って、綺麗な背景美術の中で足立慎吾氏がデザインしたデフォルメ寄りのキャラ達が表情豊かに動き回るので退屈しない画面が続く。これまでも等身が高くない少年少女のキャラデザを手掛けることが多かったため、この起用はピッタリだろう。

また、本作においては通称「影中実践色トレス」という処理も施された。キャラや背景のエッジを際立たせる処理は、周りに光源(街灯やPC画面など)のある夜や暗い部屋のシーンが多いこともあって効果的だったように思う。

 

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作画的に突出していた悪天候時の撮影シーンは、恐らく竹内哲也氏が原画を担当したものと思われる。不規則で小刻みな揺れや誇張気味な服の皺が特徴的。服に皺(弛み)があるということは、その分だけ伸ばせる余地があるということ。腕を上げたらどこが引っ張られてどこに皺が生まれるのか一目瞭然な伸縮表現。このシーンは2018年に放送されたTVアニメ『ヒナまつり』での担当シーンを想起させられた。本人は真面目なんだけどもどこかシュールさもある内容が竹内氏の作画スタイルとリンクしているように感じられた。なお、屋根から地面に落下したダルベールがヤギに顔を舐められたり、泥の投げ合いはアニメオリジナル描写。描き手を意識しての追加描写なのかは定かではないが、こうした合致がまた面白いところ。因みに足立氏と竹内氏の組み合わせは『ソードアート・オンライン』シリーズ以来。

 

 

最後に

 

基本的に原作有り作品で原作者が深く監修に関わっていない限りは、原作に無い描写=アニメスタッフによる創作部分と捉えられるので、自分が作品のレビューするに当たっては原作との比較を大切な観点としている。それとCDやDVDの特典に付いてくるようなレコーディング風景やらメイキング映像が好きなので、どのようにして作られたのか外的要因を加味してしまう節があったり。このポンポさんではそうした内と外の要素が深く結びついたように思えた作品だったので、自分にとって印象深いものになったなと。

6月はアニメ映画の公開が多い月*5ですが、劇場で観られて良かった。

 

今回はこんなところで、それではまた。


©2018 大武政夫KADOKAWA刊/ヒナまつり製作委員会

©2020 杉谷庄吾人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

 

*1:現在の画面を拭き去るようにして次の画面を映す手法、それを車のワイパーで行う洒落

*2:前の映像から徐々に次の映像へ切り替える手法

*3:シーンの連続性が無いカット同士を繋げる手法

*4:原作ではポンポさんを想って意図的に90分に収める

*5:2021年で最も作品数が多い月であり計11作品