あの月を飼う日まで

アニメ×邦楽ロックの感想ブログ、たまに備忘録

【アニメレビュー】BORUTO #216~218 -過去の軌跡と次世代への望み-

ついに訪れた大筒木イッシキとの最終決戦。現時点の原作でも盛り上がりがピークに当たるようなエピソードなだけに高まる期待。実際にアニメ版を自分の目で見てどうだったのか...今回はそんなBORUTOのレビュー記事。

 

 

BORUTO -ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-
#216『生贄』
絵コンテ:黒津安明
演出:小野歩
作画監督:杉本麻菜美、今木宏明、大野勉、黄成希、斉藤和也、Park myoung hun

#217『決意』
絵コンテ:福井のぞみ、黒津安明
演出:福井のぞみ
作画監督:田中ちゆき、佐藤綾子、大河原烈、杉本麻菜美

#216『相棒』
絵コンテ:若林厚史、甲田正行
演出:甲田正行、小野田雄亮
作画監督:高橋恒星、徳倉栄一、津曲大介

NARUTO疾風伝の話数表記は通算話数

 

参加スタッフ


#216と#218グロス(前者はJIWOO ANIMATION、後者はマウス)+本社ぴえろスタッフ+フリーランス、#217は本社ぴえろフリーランスの体制。

特に注目すべきは絵コンテの黒津安明氏。NARUTOでは数々の作画回の絵コンテ・演出を担当。BORUTOではサブキャラクターデザインとED1しか手掛けていなかったものの、この局面で本編に初参加。#217で制作進行出身の若手福井のぞみ氏が黒津氏と連名で絵コンテを手掛けたのは、次世代への引き継ぎという意味合いがあるのかもしれない。#218若林厚史氏はこれまでグロス回を担当してきたが、ここにきてようやく原画に本社スタッフがいる回を担当。

原画としては、#216には同じくぴえろ制作の『ブラック・クローバー』のスタッフで#208にも参加していた松竹徳幸氏や椅子汰氏、Rondeseo氏ら。#217には#189以来の黄成希氏に#65や#204のような海外アニメーターが多数。#218にはしばらく他作品への参加で抜けていた小柳達也氏が#135以来の参加。監督の甲田正行氏も#192以来の参加。

もちろんスタッフは流動的なため、これまで重要シーンを手掛けつつも今回は不在の方もいるが、NARUTO放送1年目のスタッフも数名おり、ひとつのターニングポイントを迎えるにあたって感慨深さもあるクレジットとなっている。


アクション


今回のイッシキ戦では素の戦闘能力だとナルトとサスケが敵わないほどの差があるため、これまでの戦いとは別の勝利条件が設定されている。それはイッシキの寿命が尽きること。器のカワキの元に辿り着かせないよう持久戦が求められる。
そしてナルトの新形態”重粒子バリオン)モード”は、ナルト自身と九喇嘛のチャクラを燃料として作中最強クラスの強大な力を得る。また、その特徴として触れた相手のチャクラ(=寿命)をも削ることができる。したがって、脚本観点で以下の縛りが生じる。

  1. 重粒子モードを持続させるため、チャクラを消費する行動は極力避ける
  2. イッシキの寿命を削るため、イッシキの体に触れる回数を増やす

つまり、極力忍術を使わず最小限の動作、かつ手数を増やした体術で戦わなければならない。この点を念頭に置いて戦闘シーンを見ていきたい。

 

攻撃の捌き方

 

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#217での重粒子モード初披露の戦闘シーン。作画的にも体術では一番見所があった。大振りな動作をせず、確実にイッシキの体に触れているのが分かるだろう。歩きながら腕だけで攻撃を往なす描写にナルトの余裕が感じられる。

 

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アクションの中でも目に残る第三関節を曲げない手の形。映る時間がたった1秒であっても合間にこうした画があればよりメリハリがつく。

 

ボクシングスタイル

 

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判定勝ちを狙うボクサーみたいにな・・・

原作からカットされた九喇嘛のセリフだが、ボクシングをモチーフとしたような戦闘スタイルが見られた。このカットを担当したGabriel Ugbodaga氏のツイートから意図してのことなのは明白。#65の中国拳法、#189のプロレスに続く戦闘スタイル。このカットの手前にも同じようにナルトが殴るカットがあるが、攻撃⇔防御の転換のために腕の移動幅を抑えた必要最小限の動きは理に適っていると言える(ただ、イッシキまでその動きをする必要性は低い)。

 

 

カメラワーク

 

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前述のように最小限の動きで体術となるとどうしても接近戦で画面内の動きが減ってしまう欠点があり、躍動感を出すためにカメラを揺らすのにも限度がある。そこで、これまでもカメラワークで印象的なアクションシーンを手掛けてきたChansard Vincent氏の出番である。このキャラを中心に大きく回り込むカメラワークは緩急付けとして一役買っている。#216~218でも一番派手なシーンであった。

なお、このシーンもアニメオリジナルだがイッシキによる炎攻撃は原作にないもの。となれば、果心居士戦で吸収した火遁を放出したものと考えられる。

因みに螺旋丸はナルトのチャクラ使用とイッシキの能力で吸収されてチャクラを回復されるリスクを考えれば無理に使用する必要がないのだが、ナルトの戦術を悟られないようにするカモフラージュなのかもしれない。

 

芝居

 

前述のアクションのような縛りはないが、今回は生死に絡むようなシーンもあり重要な要素である。

 

痛み・恐怖


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#216でイッシキに腕を折られるボルト。涎を撒き散らし目は焦点が合っていない生々しい描写。担当したのは#65では九喇嘛モード対モモシキの前半の他、『呪術廻戦』#13にて両面宿儺に攻撃を受ける真人のシーンを手掛けた若手の小野寺蓮氏。放送時間帯の都合もあり血液量によるダメージ表現が難しい制約がある中、枚数を使ったリアル調の立体的な表情付け・芝居作画ロトスコープのように(良い意味での)気味悪さが感じられる。このシーンは#189で胃液を吐く我婁を想起させた。


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#217でぴえろ所属の若手である今泉健氏が担当したカワキの過去シーン。忍び寄るジゲン(イッシキ)に怯えるカワキ。スローモーションのように徐々に体が動く中で、眼球のみ先行して動くのが細かい。拒みたい恐怖の対象を捉えてしまった心情が読み取れる芝居作画。

 

脱力感


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#218でモモシキから支配権を奪い返すボルトと安堵して意識を失うナルト。力が抜けてガクッとする表現を体の大きな移動幅と調整されたタイミングによって描かれている。特にナルトのカットは直線的な動きで止めたりせず、体の骨格に沿った湾曲的な動きにリアリティが生まれる。



カメラワーク

 

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本作でもあまり見掛けない一人称視点。それぞれサスケとナルトの視点であり、前者はこれから庇う対象であるボルトの姿、後者は九喇嘛がいない現実世界に戻ってきたことを視聴者に没入させて伝える。シーンの主観となるキャラへ意識を向けさせるために効果的。


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#216の会話パートでは、閉鎖的空間で間を持たせるよう構図やドリーズーム*1が取り入れられた(後者の1カットは30秒以上に及ぶ)。黒津氏らしい実写的なアプローチ。今回の会話内容は作中の設定に関わるものであり、視聴者に理解させる必要があるため、大振りな芝居やカメラワークはその妨げになりかねない。会話に耳を傾けさせつつも、退屈させない画面にする意味で効果的な手法といえる。

あと、話は逸れるが白眼による透視が効かない根の施設を隔離場所に選んだのはアニメオリジナル。こうして過去の要素を拾って組み込むのがこのエピソードは巧い。

 

 

対比・比喩演出

 

対 秘術・大黒天

 

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イッシキの秘術・大黒天によるキューブに圧し潰される通常のナルト、かつて#175にてディーパの硬質な体を打ち砕いた圧縮螺旋丸で何とか持ちこたえるボルト、重粒子モードで軽々持ち上げるナルト。同じシチュエーションのシーンを比較することにより、各キャラの力量の差が測れる。特に重粒子モードは派手なアクションがしづらいため、直感的に理解できる適した見せ方。

 

金魚

 

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かつてカワキの過去を描いたアニメオリジナル回の#192。その中でも印象的に描かれていたのが金魚。父親からの軟禁ともいえる閉鎖的な環境に身を置いていたカワキにとって、商人が持ち込んだ自由に泳ぎ回る金魚の姿は"外の世界"の象徴ともいえる。しかし、実際に泳げるのは水槽の中のみであり、一度外に身を投じれば待ち受けるのは死。#218ではジゲン(イッシキ)の手から逃れられず命を握られたカワキに投影される。

 

 

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カワキに虐待ともいえる仕打ちを与えてきたジゲンの象徴。雨のように降り注いだ杭を掻い潜るように逃げるカワキ。それはかつての自身の行動と同じ。しかし、今の彼には守りたいものがある。原作から大幅に増えたカワキの過去・心理描写は、苦難を乗り越えイッシキに立ちはだかる行動の前振りとして機能している。

 

 

過去の軌跡

 

これまでのOPED本編でも度々見られたNARUTOオマージュは健在。特にナルトとサスケはこのエピソードで大幅な弱体化を余儀なくされ、今後は次世代のボルト達へ本格的にバトンが手渡されることだろう。最後の活躍の場として、過去の軌跡を追うような演出。

 

セルフオマージュ

 

 

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ったく...お前らときたら親子揃って...

友として師匠として体が勝手に動いちまったサスケ。波の国編で白の攻撃から庇うシーンのオマージュ。ボルトのポージングとサスケのセリフからして間違いなく意図したアニメオリジナル要素。
さらにこの後にボルトが腕への負荷が高いことから使用を禁止された圧縮螺旋丸を使ってサスケを庇うシーンに繋がる。師匠の背中を追うボルトの行動原理として説得力を持たせた一連。

 

 

こうして挙げたセルフオマージュは、作品のファンに喜ばれやすいが諸刃の剣となる要素でもある。オマージュ元と作画素材の比較対象とされ、使い時を誤れば非難の的に成りかねないからである。特に最後に挙げたシーンについて、元は松本憲生氏が手掛けた完成度の高いものであり、ほぼ同じ動かし方をすることはキャラの成長度合いを読み取り辛くしてしまう。どのセクションのアイデアかは不明だが、個人的にはベストな見せ方ではなかったと思う。

 

特殊ED

 

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記念すべきNARUTO#1をはじめとした放送当時の映像からナルトと九喇嘛の2人を追憶する。通常のものではなくその回限りの映像を流す特殊EDは、NARUTO時代から見てもでも珍しく#698以来である。過去映像には甲田監督が当時作画監督を務めた疾風伝#549(2013年放送)もあるのが感慨深い。

終わりの方には実質この展開の先行公開であるED17のナルトが腕を伸ばすカットに繋がる構成。アニメで追っている層には、#218を以てED17で描こうとしたものが見えてくるだろう。

因みに#218の放送日である10月3日はNARUTO初回放送日。以前の疾風伝でも原作話数と同様に699話で原作エピソードを完結させた経歴があることから、今回も制作スタッフが意図して行ったものと思われる。さらに言えば再放送日の10月10日はナルトの誕生日と出来過ぎている。

 

reme-aniro9.hatenablog.com

 

 

筆字のサブタイトル

 

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本編ラストに映る通常とは異なる筆字でのサブタイトル。NARUTOでは、『力-Chikara-』(#510~515)と終末の谷でのナルト対サスケ(#697、#698)で出された。クレジットには担当者が載っていない*2ため、同一人物によるものかは不明。筆は作中でも度々登場する小道具であり作風と合った演出。

 

 

最後に

 

ということで、イッシキ戦を総括してみました。NARUTOからの通算約940話があったからこそ、また当時の制作スタッフが参加していたからこそ形となったエピソードだったのではないかなと。

ただ、極めて個人的な感想ですが、各回に満遍なく作画・演出面での見所を作った代わりに、単話だと過去の作画回である#65や#189に見劣りしてしまう印象を受けたのが正直なところ。それは特定の誰かが悪いという話ではないし、記事で取り上げたような脚本上の縛りに加えて制作スケジュールや人員確保といった要因もあると思います。それでも自分が期待していたものとはズレがあり、#217ないし、#218でTVアニメ全体から見ても突き詰めたものを目にしたかった。


さて、#218で原作54話までアニメ化したため、ストックは10話にも満たない(アニメ1話で原作1話分を消化)しかない。そのため、今後は年単位でアニメオリジナルないし、小説版が描かれると思われます。親世代を想起させる描写もいいですが、やはり本作のボルト達が主役なので技術的にも進歩した次世代"ならでは"と言えるようなものが観られたら嬉しい限り。

何はともあれ、本作も200話を超える長期作品であり、こうしてイッシキ戦決着までアニメ化されたのはいちファンとして本当にありがたいの一言。これからも視聴を続けていきたい。

今回はこんなところで、それではまた。

※記事の初出し時に一部誤記がありました。#216の演出は小野歩氏でした。申し訳ありません。

 

©岸本斉史 スコット / 集英社テレビ東京ぴえろ

*1:カメラレンズはズームしながらカメラ自体を被写体から遠ざける手法

*2:なお#511~515は西尾鉄也氏が担当