あの月を飼う日まで

アニメ×邦楽ロックの感想ブログ、たまに備忘録

【アニメレビュー】明日ちゃんのセーラー服 #7

中学一年生の明日小路とその同級生が送る些細な日常を繊細な作画と鮮やかな撮影処理で彩った本作。その中で個人的に深く刺さってしまった#7のレビュー。

 

 

 

明日ちゃんのセーラー服 #7『聴かせてください』
脚本:山崎莉乃
絵コンテ・演出:Moaang
作画監督:川上大志

 

 

 

 

 

はじめに

 

Moaang氏は自分が調べた限りでは初の絵コンテ・演出。川上大志氏は本作でサブキャラクターデザインや作画監督として#1から携わっていたが、単独は本話数が初。絵コンテ・演出が同一人物+単独作監により隅々までコントールされた一貫性のある話数に仕上がっている。

加えて本話数は原作の単行本第9巻の番外編を基にしたほぼオリジナルのストーリー。マンガ原作ではそのコマ割りに寄せた映像になる場合がほとんどだが、今回はオリジナル要素の余白の分だけ裁量もあるのである。

ここからは大きく物語・音楽面、作画面・演出面に分けて掘り下げていく。

 

 

物語・音楽面

 

本作は主人公の小路を中心に1話完結型でクラスメイトとの交流が描かれる。そうした交流を通して登場人物の成長や心境の変化といったストーリーラインがある。本話数ではバスケ部の戸鹿野や帰宅部の蛇森との交流がメイン。

 

 

日々の積み重ね

 

本話数でのテーマ。日々積み重ねた努力により壁を乗り越える。

小路「でも出来なかったことが少しずつ出来るようになるのって楽しいよね。」

戸鹿野「いきなり出来る人なんていないと思う。だから毎日私も練習している訳で。」


■各キャラにおける日々の積み重ね

  • 蛇森:アコギの練習
  • 戸鹿野:バスケ部のシュート練習
  • 小路:演劇部の発声練習、ヨガ


積み重ねということで、劇中でも日を跨いで数回描写がある。また、その繰り返しは同ポジによって対比的に映される。この点は後述有り。
日常描写の何気ない一コマの切り取り方が巧い本作。登下校や授業に部活動、友人との会話など毎日等しく流れる時間。その単調に思える繰り返しにも少なからず何かしらの変化もある訳で、その点に着目した物語を目の当たりにするのは自分の学生生活を思い起こすようでもある。

蛇森は一度はアコギのコードを覚えるところで挫折するが、小路と戸鹿野の練習風景を目にしたり、実現可能な目標設定のアドバイスを受けることで再び練習に打ち込む。何のために練習をするのか、意味も分からず続ける練習そのものが目的とならないようにする。現実に置き換えても通じる内容。解決に向けた行動に大人の意見が介入してこないのもポイント。何かに打ち込むクラスメイトのそばで対等に寄り添う光景。

 

 

人物像

 

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放課後、部活の道具やユニフォームの入ったバッグを持って教室を出るクラスメイト達。自身は帰宅部のため、通学用のバッグのみ。このタイミングでは帰宅部というワードは出てこないものの、一目で伝わる見せ方。

 

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移動中に教室から聞こえるエレキギターの音色に思わずテンションが上がり歩きも弾む。向けた視線の先にカットが繋がる気分同様に小刻みの良い過程の省略。
ワイワイとした教室内の声を横目に「でも結局、帰宅部を選ぶ自分」というモノローグのちょっと拗らせてる感じが中学生らしいというか。

 

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人目がつかなさそうな場所、ヘッドフォンで音楽を聴きながら音楽雑誌を読む蛇森。ヘッドフォンは外界との遮断手段として用いられる作品もあるが、ここでは単に趣味だろう。そして小路に見つかってしまい、相変わらず食い気味に詰め寄られた挙句、見栄を張って弾けもしないギター演奏を約束してしまう。果たしてこの行動によって鬼が出るか蛇が出るか。

本話数を通して蛇森は対人関係が苦手な訳ではなく、自己肯定感の低さからか「どうせ〇〇だから」と何かと理由を付けて逃避しがちな一方、誰かには認められたいように見える。小路や戸鹿野にとっての部活の仲間や先輩。そんな捻くれた性格に対して、「聴きたい」と前のめりに迫る(退路を断たせる)小路やありのままを受け入れてくれる戸鹿野という存在は貴重なのではないだろうか。終盤、練習したFコードを「聴きたい」と言われ、画面動までした蛇森の嬉しそうな反応が全てを物語っている。

また、他人との交流はもちろんだが、一人で黙々と練習する描写もあるのは他人に頼り過ぎず、最終的には自力で小路の前での弾き語りという壁を乗り越えようとする行動の表れ。話数を通した成長を感じる際の説得力に繋がる。

音楽に造詣が深い訳ではない小路と戸鹿野は専門的なアドバイスはできなくとも、寄り添い行動を起こすきっかけを作ってくれる。これまでの話数を観ても、他人との歩み寄り方の塩梅が良い作品だなとしみじみ思う。

それにしてもエドとはエド・シーランのことなのか...?

 

 

アコギ描写

 

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半ば部屋のインテリアと化した父親譲りのアコギを鳴らす蛇森。チューニングされていないため、当然ながら鳴るのは外れた音。それでも心躍らせるには十分だった。始めは鳴らしているのが一体何コードなのかは分からないけども楽しい。分かる。
弾かれたアコギの弦は不規則に動く描写が細かい。弦は1~6弦全ての太さが異なる上にチューニングが狂っている=緩みがある訳なので、動きが揃っていては却って不自然なのである。

 

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張り直した弦を切るカット。よく見ると切れた弦の先が若干湾曲しているのがこれまた細かい。枚数を使ってそーっとした手の動きに対してパチンと動くニッパーが気持ちいい。ペグの向きもバラバラになっている。この後にチューニング描写があると尚良かった。
因みにDAISYというブランドは何か元ネタがあるかなと思ったが、あまりそれらしいのが見付からず。

 

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満を持してスピッツの『チェリー』の弾き語りカバーを披露。ここは他の方の感想を見て気付いたところなのだが拝借させていただく。『「愛してる」の響きだけで』の"きだけで"の部分は初心者がまずぶち当たる壁であるFコード*1なのだが、実際に押さえられたのはバレーコード*2ではない。後に改めてFコードを練習する描写があるため、敢えて小路の前ではそれよりも難易度の低い代替となる押さえ方(FM7)を選んだと思われる。試行錯誤の様子が窺える。


www.youtube.com


余談だがスピッツのチェリーは一度だけライブで聴いたことがあったり。今年はGW開催のJAPAN JAMにも出演予定なので是非。

 

 

作画面

 



Moaang氏と一緒にクレジットに載ることが多いMYOUN氏。本話数は数えたところ約290カット(背景美術のみや素材使いまわしのカット含む)だったので、その半分を担当したことになる。実質半パート一人原画。担当パートが全て判明している訳ではないが、作画に一貫性があるのもこれが理由の一つだろう。

 


歩き・走り




本話数のような所謂作画・演出回は、冒頭のカットが肝心。これまでの話数も作画・演出が良かったのは間違いないが、冒頭から「おっ」っとなる画面が映ると「今回はいつもと何かが違うぞ?」と異質さを感じざるを得ない。本話数では廊下を歩く小路の姿がまさしくそれだった。

 

立体感

 

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魚眼のように前方に迫る小路。その姿は蛇森にとって断りづらさのある若干の恐怖も混じっていたんだろうなというカット。この手の演出意図のあるカットは、ドリーズーム*3が用いられることもあるが、この場面においては過剰だと判断されたのかもしれない。


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小野寺蓮氏のパート。タイトル回収でもある重要な場面。手前のピアノのイメージカットが鮮烈だっただけに埋もれない印象を求められるところ、各部位が連動した立体感がその務めを果たす。そのまま前へ顔を突き出すのではなく、やや捻りのある動きが目を引く。


表情

 

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内から出そうな想いを飲み込むような蛇森の表情作画。デフォルメ気味のキャラデザインでは、こうした口元の僅かな皺がよりダイレクトに感情を伝えてくれる。目や手といった特定の部位に焦点を当てたレイアウトは、誤魔化しが効かないだけに決まれば残す印象は大きい。


上記以外では、冒頭の教室内や終盤のピアノ演奏後のパタパタした芝居も巧かった。丁寧な芝居でもそれぞれ枚数の使い方が違ったりと、総じて本話数では作画面も臨機応変に物語から乖離しないようコントロールされていたのではないだろうか。



演出面

 

同ポジション

 

先述の通り、繰り返し映される日々の積み重ねの描写にて多用される。同じシチュエーションにおいて、同じ構図で映すことで時間の流れに伴う変化が対比的に伝わりやすい。カメラワークも共通してFIX*4である。

 

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小路と花緒のヨガシーン。始めは小路がスマホを持ちながら行っているが、最後はソファに置いて行う。集中力の変化。

因みに始めは「頭の上で合わせましょう」というTVから流れるナレーションと共に手を映すことで小路もそうしていると思考を誘導されるカット割りとなっているのが面白い。

 

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相部屋の蛇森と戸鹿野。部活帰り(同じ時間帯)の戸鹿野がアコギの練習中に入ってきたときの反応や、挫折して練習せずに蛇森が遊んでいる様子の対比。最初は慌てた反応だったのに、最後は入ってきたことに気付かないほどの集中力。

場面に応じてダイアモンドゲームのセットやクッションといったプロップの位置も異なる。蛇森が遊んでいるときだけ位置が逆になっているのも、もしかしたら意図的なのかもしれない。

 

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順番が前後するが、戸鹿野が部屋に入る前にも対比的に映される。部屋の中からアコギの音が聞こえるときとそうでないときに驚く反応である。なのだが、決して画像を貼り間違えた訳でなく、ここでは素材は使い回し。それでも映像中は何に対して驚いたのかが分かるのが面白いところ。なお、最後の部屋に入る場面では構図が異なる。

 

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戸鹿野のシュート練習。シュートスタイルの変化が見られ、後半はシュートが決まるように。練習の成果。
キャラ素材が一部使いまわしのため、時間帯の関係による撮影処理の比較のようにも映る。

 

 

校舎の窓越しの構図

 

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一旦カメラを建物の外へ出すことによる映像の緩急付け。緩急付けだけが目的であれば、窓越しの風景を映したカットでも違和感はないが、キャラの行動を映す意味合いもあってのことだろう。
こうしたカットでは、野鳥の囀りなど外の環境音も取り入れる音響面の拘りも感じられる。

 

 

俯瞰構図

 

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画面内を見渡すことで置いてあるものやその位置関係といった情報を整理しやすい。こちらもアクションのない会話中心の回であれば、いいアクセントになる構図。
ただし、人物などの作画の難易度は高くなるため、そう易々と多用できるものではない。特にヨガシーンは変態的。



 

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影は登場人物の不安や後ろめたさといったマイナスの感情を反映させる。序盤に蛇森が音楽雑誌を読んでいた場所も影中である。

 

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積み重ねた練習による影からの脱却。同じベッドの上でもカメラの位置を変えれば別の見え方になる。

 

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影にいる蛇森とは対照的に汗水流し努力し続ける小路の姿は持ち前の明るさもあって光輝く。

 

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練習してようやく小路の前で演奏しようとした手前、木崎が音楽室に入ってきたことをきっかけに自らまた影に踏み入れてしまう蛇森。それを引き留めたのは光である小路。

 

きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる

 

 

撮影面

 



他話数との比較

 

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第1話の似た構図・同時間帯(朝)のカットとの比較。撮影処理は場面や演出によってもアプローチが変わる(この画像ではぼかしが該当)ため一概にこれが最適とは言えないが、本話数ではハイライトを抑えたコントラストが低めな画面となっている。こうした普段とは違うさりげなさが作画や演出と共に異質さに繋がる。


ライティング

 

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夕方に小路と戸鹿野が談笑する場面。場所は体育館の影ではあるが、足元の窓から漏れる照明が光源となり下から照らされる形に。影の部分が多い中で輪郭の一部分だけハイライトとなり、汗水流した練習終わりの表情に艶が出る。小路が立ち上がってからは光源が太陽に変わり、制服の端もハイライトに。
この一連は柔らかみのある作画も相まってお気に入り。


色調

 

 

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木崎のピアノ演奏シーン。これまでよりもさらに落ち着きのある色調の画面となりガラッと印象が変わる。ここでは小路ではなく、演奏を聴いた蛇森の心境が入り混じった画面のように映る。音という耳から得られる情報を画面からその演奏レベルの違いを表現。背景もセルに変わったりと本話数では一番異質なシーンであり、劇中でそれだけの衝撃があったことがこちらにも伝わってくる。

本作の原作者博氏がイラストを担当した『スーパーカブ』のアニメでは、逆に色鮮やかな画面へと変わる表現があるため、直接的な繋がりはないが違いがあって面白い。

この場面ではピアノ壁面の映り込みにも注目したい。

 

 

最後に

 

ということで、今回はいつもより物語面にも触れたレビューでした。
作画や演出の良さもさることながら、自分も学生時代は帰宅部でも趣味でギターは弾いていたこともあって、刺さりに刺さって途中からは涙無しに観れなかったり。これまで観てきたTVアニメ全体の中でも心に残るような回。

ここには挙げきれなかったものの、冒頭の小路と木崎のやり取りだったり、扉やギターケースの使い方だったりと気に入った場面はまだまだあったり。

本作の残りの5話、今後のMoaang氏による絵コンテ・演出回も楽しみにしたいなと。

実家に帰ったらギターを弾こう。

今回はこんなところで、それではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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戸鹿野さん可愛すぎか??無口とは思わせて実は表情豊かで淡々とした口調で核心をついてくる言動...。今後、本アカウントは本作で戸鹿野さんを推していきます。


 

©博/集英社・「明日ちゃんのセーラー服」製作委員会

*1:https://www.ufret.jp/song.php?data=41より

*2:一本の指で同フレット上の複数の弦を同時に押弦する奏法のこと

*3:被写体に対してカメラを前方または後方に移動しながらズームする撮影方法

*4:カメラを固定した撮影方法